#148 体温

2016.07.07

 ごどはちぶ。ろくどよんぶ。ろくどくぶ。ななど。ああ、風邪かもしれないと母が言う。はちど、くど、そして、よんじゅうど。

 よんじゅうど? いきなり四十ってどういうこと? さっきまで九℃だったのに、一気に三十一℃プラス? 幼い僕は疑問だった。熱でふらふらになりながらずっと疑問だった。思えばそれは、生まれて初めて学んだ「省略」だったかもしれない。

 体温を言い表すのに「三十」を省略できるのは、人間の体温が基本的には三十台から変化しないからだ。そういうものだ、という前提があって初めてその大胆な省略は成立する。もっといえば三十台の後半。個人差はあるにしろ、爆風スランプの歌に従えば三十六・五℃が一般的な通常時の体温、いわゆる平熱ということになるのだろう。人間は哺乳類であり、哺乳類は恒温動物である。と理科で習った。

 それにしてもなあ、と思う。たったの一℃や二℃である。それっぽっち体温が上昇するだけであんなにしんどく、やってられなくなるなんて、人体のなんと繊細なことかと思う。……いや、違うな、逆だ。むしろ、一℃や二℃の狂いも許さずに体温を保ち続ける人体のホメオスタシスのなんと高性能なことか。だって、比熱が大きいはずの水、浴槽の湯だって、ちょっと放っておくだけでずんずん冷めていくし、一℃や二℃の変化なんてすぐだ。僕は経験したことがないが、体温が低くなりすぎるのもそれはそれで恐ろしいものだと聞く。上げもせず下げもせず、人体は正確に同じ体温を保ち続ける。すげえ。

 そして、高熱が何日か続くと、体が慣れてくる気がするというか、発熱当初よりは楽に感じるのは面白い。寝てなきゃいけないから寝てるんだけどもう元気になっちゃってマンガなんか読んじゃって、みたいな。気のせいなのかもしれないが、なんなら気のせいでも構わない。体が健康に戻るまでのあいだ、しんどいよりは楽なほうがいいではないか。これまた人体の適応能力の高さに僕は舌を巻いてしまう。すげえ。

 発熱の際は、解熱剤などを使って無理に熱を下げないほうがよいという話も耳にしたことがある。体温が上がっているのは、体が外敵、外部からの侵入者と戦ってくれているからであり、その戦闘に水を差すべきではない、自然に熱が下がるまで待ったほうがよいというのだ。発熱の原因にもよるだろうが、正確無比である人体が体温をわざわざ上げるのにはそれなりの理由があるということなのだろう。一理あるとも思いつつ、しんどいものはしんどい。

 高校時代、二日間にわたって開催される球技大会の初日を終えた僕はひどい頭痛に襲われていた。七月なのに寒気もする。這々の体で帰宅、こっそり体温を測る。三十八℃を超えている。鈴木家の教えでは「三十八℃を超えたら座薬をイン」である。座薬レベルの発熱なんて数年に一度だ。道理でこの体調である。

 この発熱が親にばれたら明日は絶対に休めと言われる。しかし僕は、そういうわけにはいかなかった。その日、僕が出場していたバスケで我がクラスは勝利をおさめ、翌二日目には次の試合が控えていたのだ。まずい、これはまずい。バスケがしたいです。

 僕は全力でそしらぬ顔を決め込み夕食を済ませ、薬箱からこっそり座薬をくすねて早々と自室へ籠もった。そして、勇気を出して初めてのセルフ座薬。苦悶にもろもろを歪めながら最後の力を振り絞って押し入れから引っ張り出した冬用の毛布と布団を無理矢理かぶって寝た。強制発汗。

 熱を下げるのに汗をかくのは意味がないという説もあるようだが、そのときの僕には有効だったようだ。翌朝、晴れて熱は下がっていた。そしらぬ顔で登校。まあ、ばれてたかもしれないけど。で、バスケは負けたけど。

 今でもたまに発熱することはあるが、会社を休むほどのひどいやつというのは滅多にない。ただ、大人になってからいっぺんだけ、扁桃腺炎をこじらせて四十℃超の発熱をしたことがある。あれはやばかった。仕事に行ける行けないとかそんなレベルじゃねえんだもの。まともに立てないし、布団に横になっていてもマンガを読もうという余裕もない。意識が朦朧とし、眠ってるんだか醒めてるんだか、自分が自分じゃないみたいな状態。一日に数時間だけ、薬が効いているのかちょっと我に返る時間があって、そのときに慌てて職場にメールで状況を報告、みたいな。そんなのが一週間続いたのだった。あれから七年、帰宅後のうがい手洗いは欠かしていない。もうあんな目はごめんである。こええ。逆に、インフルエンザで発熱したときにはリレンザ吸ったら一発で平熱まで下がって、医療パねえって思った。

 このまえインターネットで見かけた女性向けの靴屋さんの広告で「体温が2℃あがる靴」というコピーがあったんだけど、平熱から二℃も上昇したら座薬レベルである。


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鈴木拓磨 SUZUKI Takuma / suzukishika(鈴木鹿)

コピーライター。札幌の広告制作会社に勤務しています。
1982年早生まれ / 小樽市出身 / 札幌市在住 / 文房具とビールが好物
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