#144 スプレー

2016.06.09

 中学校の男子更衣室はサロンパスの匂いがした。といってもみんなして肩に背中にべたべた貼っていたわけではない。エアーサロンパスである。スプレータイプのサロンパス。運動系部活に所属する生徒たちはこぞって練習後にシュッシュシュッシュしていたように思う。特にバドミントン部がすごかった記憶がある。屋外であればすぐに風に乗って消えるその匂いは、体育館に隣接した決して広くないその小部屋に充満し、沈殿しているかのようだった。女子更衣室には入ったことがないのでわからないが、やはりエアーサロンパスの匂いがしていたのだろうか。せめてエイトフォーとかの匂いであってほしいところだが。

 換気のよくない小部屋でスプレー、って普通にだめである。冷静に考えれば子供でもわかる。それがたとえ女子のエイトフォーだろうとだめなものはだめ、ましてや男子のエアーサロンパスなんて自殺行為である。まあ、スプレーしなきゃしないでサムシングが充満するアトモスフィアーに変わりはないのだが、そんな場所でどうしてスプレーしちゃうのか。それはきっと、スプレーが楽しいからではないか。

 思い出してみてほしい。初めてスプレーしたときのことを。人差し指にぐっと力を込めて、シュッと出してやったときのことを。いや、そんなの思い出せないという気持ちはわかる。正直僕も思い出せない。だったら最近のスプレー体験でも構わない。どんなスプレーでも構わない。大人にとってはあまりにありきたりな行為だけれど、でもさ、よくよく冷静に考えてみれば、スプレーって楽しくない?

 僕は楽しい。スプレー楽しい。スプレー、すごいわくわくする。昔もそうだし、実は今でもちょっとわくわくしながら人差し指に力を込めている。わくわくシュッシュしている。

 昔から、なんかスプレーが好きだという自覚はあった。その理由なんて考えたこともなかったけれど、今あらためて自分の感覚に問うならば、たぶん、自分が込めた力以上の作用が目の前に、瞬時に現れるからではないか。圧でもって、液状のものが霧状に噴射される。エアーサロンパスや制汗剤のようにガスの入った、押しっぱなしで出っぱなしのタイプでもいいし、ハンドルをぐっと握るごとに噴霧される霧吹きでも、どちらでもいい。どちらにしても一瞬なのだ。力を加えた瞬間シュッと出たときの、その爽快感たるや。加えて、噴霧された液体の拡散する様の、なんと美しく儚いことか。

 僕だけなのかもしれないが、スプレーにはそれ自体で快楽があると思うのだ。僕はやったことないけれど、公共の場にスプレーで描かれるらくがき、あるいはグラフィティというやつ、あれはもちろんらくがきの楽しさや、表現欲や、後ろめたい喜びや、いろいろな事情があったりするのだろうが、それ以前にスプレーの快楽があるのではないか。シューッ、ひゃーっ、わちゃーっ、きんもちいー、みたいな。

 スプレーというのは基本的に、お手軽で簡単な道具という印象が強い。本来なら面倒な手順、面倒な作業が必要な状況を前にして「シュッとひと噴き!」で解決するのがスプレーである。シュシュシュシュシュッとやるだけで、汚れは落ちるわカビは根から死ぬわ除菌されるわ防水になるわおまけになんかいい匂いまで発しはじめるわ、万能アイテムなのである。あなたは人差し指にちょっと力を込めるだけ。悩み無用。なんなら髪も生えてくるんじゃないでしょうか。

 とはいえ、すべてのスプレーが無邪気に無計画にシューシューできるわけではない。スプレーは、ある程度広い面に対してまんべんなく何かを散布あるいは塗布するには適した道具だと思うが、精密なコントロールが難しいというイメージがある。だって噴霧なんだもん。霧なんだもん。微風にすら簡単に流されてしまうような霧を自在に操るとか、どんな特殊能力者だよっていう話である。

 特に、絵を描いたり、色を塗ったりするような塗料系の扱いについては細心の注意と熟練したテクニックが必要だろうと思う。エアブラシとか、ものすごく繊細な描画をしたりするものね。「そこ、そもそもスプレーには向いてないんじゃないの?」と素人の僕は思ってしまったりするのだけれど、きっと質感の表現だとかに関わるのだろう。いずれにせよ不器用な僕には絶対に無理な世界である。会社のビルの屋上でスプレー糊を噴いたら思いっきり風下で、体中に浴びた思い出がよみがえる。

 永遠にスプレーできる、みたいな玩具があったら飽きもせず延々とスプレーしていると思うな僕。霧吹き買ってきて水入れて、公園で一日中シュッシュシュッシュやっていればいいのかな。夏の暑い日だったりしたらさ、涼みたい子供とかが寄ってくるわけ。んで、シュッシュッシュって。楽しいねっつって。シューッ、ひゃーっ、わちゃーっ、きんもちいー、みたいな。だめだなこれ。通報されるやつだな。シュッ!


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鈴木拓磨 SUZUKI Takuma / suzukishika(鈴木鹿)

コピーライター。札幌の広告制作会社に勤務しています。
1982年早生まれ / 小樽市出身 / 札幌市在住 / 文房具とビールが好物
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