#134 保温

2016.03.31

 メールで「保温」と打ちたくて、何度試みても漢字変換されない。決して難しい漢字でもないし、よく使われているありふれた単語である。なのになぜ、なんでだろうか、わからない。

 ひょっとしてこの語は、生活の中で頻繁に登場するにも関わらずあくまで家電界の俗語、いわゆる「辞書に載っていない」系の言葉なのかと疑い国語辞典を引いてみたら「保温」が見つからない。マジか! と驚き、しかしにわかに信じがたく、念のため「保温」をウェブの検索窓に突っ込んで、あっという間に解決。

 僕は「ほうおん」だと思っていたのである。人生の大部分、ほんの数年前まで。俗語なわけでもなんでもない、単に僕が読み方を誤っていたのだった。正しくは「ほおん」なのだそうである。ほおんと打って変換すれば、そりゃもう一発で保温が出る。

 ほおん。ほうおん。声に出してみればおわかりのようにかなり小さな違いしかない。それに平仮名で書くということはまずない言葉だからだろう、ついぞ誰からも指摘されずにここまできてしまった。とても些細な間違いだし誰に迷惑を掛けたわけでもないのだけれども二十年来の誤解に気づくというのはけっこうショッキングである。

 保は「ほ」じゃん、と思われるかもしれない。でもさあ、享保の改革は「きょうほう」じゃん。ほうじゃん。じゃんか。それに、皆さん本当に「ほおん」と発音しているか。でもそれだと「ホーン」っぽくなっちゃうんじゃないか。それじゃ「保温」とは伝わりにくいんじゃないか。「おん」の「お」を強調しようとするとやっぱり「ほうおん」みたく発音しちゃうんじゃないの。みんな本当は「ほうおん」って言ってるんじゃないの。むしろ報恩に近いんじゃないの。どうなのさ、ほれ、どうなのさ! いや、べつにいいんだけどさ。

 僕は漢字の読み方の大部分をコロコロコミックでおぼえた。コロコロコミックにはすべての漢字にルビが振られていたから習っていない漢字もすいすい読めたのだ。いっぽう、家電に表示された「保温」にルビは振られていないし、コロコロコミックには「保温」は出てこない。こないよそりゃ。

 この言葉に出会ったタイミング、自分の中での初出を明確に僕はおぼえている。今の実家に引っ越した小学一年生のとき、ボイラーに登場した目盛りの表示が「保温」だったのである。それまでの住まいには存在しなかった新機能。風呂の温度を保ってくれる機能。保温、すげーと思った。ほうおんだと思ってたけど。

 保温には大きく二通りのやりかたがあるように思う。ひとつはじりじりと温め続ける方向。もうひとつは熱のロスをなくす方向だ。前者はエネルギーが無駄にかかっちゃうわけで、もちろん後者と組み合わされることがほとんどである。風呂なんかはなかなかそうはいかないが。

 魔法瓶という存在を初めて知ったときはこれまたショッキングであった。だって電気のコードがつながっているわけでも電池が入っているわけでもないのに保温されるだなんて! 朝につめたお茶が、お昼にも同じ温度に保たれているだなんて! もう魔法だよねこれ。マジカル保温パワーだよね。それまで持っていたプラスチックの水筒と違ってでかいし重いし遠足の荷物としてはアレだったけど、でもしょうがないよね、魔法だもの。どちらかといえば、温かい飲み物を温かいままというよりは、冷たい飲み物を冷たいままにという用途のほうが多かったように思うけれど。

 温かいものを温かく、冷たいものを冷たく。ああ、うっかり料理の神髄のようなフレーズ。保温って素敵だ。素敵だなあ。

 しかしながら保温が邪魔になることもまたある。今、自宅では電気ケトルを愛用しているのだが、なぜ気に入っているかといえば電気ポットと違って保温機能がないからである。ないよりはあるほうがよいように思える保温機能。だが、それがないことによって「使うときに使うぶんだけ沸かす道具」という用途が鮮明になる。その割り切りぶり、単機能な道具としてのたたずまい、そしてそこから導かれる行動のシンプルさを僕はとても気に入っているのだ。

 職場にも電気ケトルがあるのだが、おそらく「電気ケトル=保温機能のない道具」という認識が浸透しきっていないのだろう。あたかも電気ポットのように、たっぷりのお湯が沸かされ、そして台所に放置されていることがあって、そのたびにものすごくもやもやしている。いつ沸かされたかわからないたっぷりのお湯。保温されていない。つまりぬるい。使うには沸かし直さなければならない。でも、僕はこんなにたっぷり要らない。これをすべて沸かし直すのは電気の無駄だ。使う分だけを残して流しにぬるい湯を捨てる。無駄である。ああ。

 炊飯器の保温は何時間まで使うべきなのかはいまだに迷うところである。


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鈴木拓磨 SUZUKI Takuma / suzukishika(鈴木鹿)

コピーライター。札幌の広告制作会社に勤務しています。
1982年早生まれ / 小樽市出身 / 札幌市在住 / 文房具とビールが好物
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