#129 喉が渇く

2016.02.25

 あの頃は蛇口が光り輝いて見えた。蛇口はもともと銀色に光りがちだが、体育の時間のあとや、中休み・昼休みのあと、そして放課後にはとりわけ光って見えた。小学校の水飲み場は僕らのオアシスだった。

 あの頃は水でよかった。ただの水道水でよかった。最初はぬるくても出しているうちに水は冷たくなった。飲んだ、飲んだ、飲んだ。がぶがぶと音がするぐらい飲んだ。おなかがちゃぽちゃぽいうのなんて日常茶飯事だった。なんだったら、別に喉が渇いていなくても飲んでいた。

 水道水でよかったのは北海道だったから、あるいは小樽市だったからかもしれない。今では都会の水道水もずいぶん美味しくなったと聞くが、当時は不味いと評判だった。小樽に暮らしていた者からは、札幌の水も飲めやしないと恐れられていた。隣町なのに。

 水でよかったのは事実であるが、本当は水じゃないのが飲みたかったのも事実である。水飲み場の蛇口から何が出たらうれしいか、よく想像をめぐらしたものだ。オレンジジュースが出たらいいな。ファンタグレープが出たらいいな。百歩譲って麦茶かな。いろいろな候補があるけれど、とりわけ喉が渇いているときに断トツでうれしいのはポカリである。もしも体育後の水飲み場の蛇口からポカリが出てきたら。すごい。それはすごい。めちゃくちゃ体育に熱中すると思う。スポーツに打ち込むと思う。日本中の小学校の水飲み場から体育の時間のあとはポカリが出るようになったらオリンピックのメダル獲得数は激増するんじゃないだろうか。

 粉のポカリというものを初めて知ったときにはまじびびった。蛇口からというわけにはいかないが、水道水でポカリができるなんて夢の粉末、魔法の粉末である。中学でバスケ部に所属していたとき、放課後の練習では水を飲むしかなかったが、夏休み中など授業のない日の練習時にはポカリの持参が許可されていて、あれはほんとうにうれしかった。練習の合間、合間に更衣室でポカリを吸った。必死に、ひっきりなしに吸った。粉でつくってきたポカリを、はじめ薄くてだんだん濃くなるポカリを、ぬるくなってしまったポカリを貪り飲んだ。

 あのポカリは美味しかった。今、大人になって飲む一杯目のビールとどっちが美味いだろう。

 ずいぶんと長い間、運動でカラカラに喉が渇くということがなかった。数年前からジョギングを始めて、といっても息が上がらない程度にゆっくり走るだけなのでそんなに疲れはしないのだけれど、それでもときどき、走り終えてから猛烈に喉が渇くことがあって、そんなときのポカリはやっぱり最高に美味い。喉が、というよりも体が、全身が水分を欲している感じ。ああ、なんて爽やかで健康的な新陳代謝ですこと。

 同じ「喉が渇く」のでも真逆の、どんより不健康なやつは、しょっぱいものを食べ過ぎたあとである。正直、こっちのケースのほうが圧倒的に多い。ジョギングとかなんとかいかにも最近じゃ僕スポーツマンですから的な書き方をしたけれど、ごめんなさい概ね爽やかじゃないです。

 子どもの頃は塩辛いものが好きで、それは母の味付けがかなり薄味だったことの裏返しなのだけれど、そのときもよく「しょっぱいもの食べたら喉が渇くよ」と言われたものだ。僕はてっきり、喉に塩気がひっついて、それを洗い流そうとするために水を欲するのだと思っていた。たとえば、塩をオブラートで包んで丸呑みすれば喉は渇かないということになるのだと。しかしながら、どうやらメカニズムは違うようだ。大人になった今、身をもってわかる。体が欲するあの感じ。でも、ジョギングの後とはまったく違う、爽やかさのかけらもない鈍重な感じ。

 飲み屋の料理の味が濃いのは酒が進みやすくなるからだと聞いたことがある。濃い味が酒によく合うね、ということならいいのだが、これが喉の渇きを促進しているのだとしたらかなり意地の悪い企みだといえるのではないか。ただでさえ酒には脱水効果があるというのに。そりゃ不健康にもなるわ。行くけど。飲むけど。

 僕の場合、いちばん危険なのは寿司である。寿司が好きだ。寿司は美味しい。寿司は僕を夢中にさせる。一貫一貫、醤油を必要最低限だけつけているつもりでも、うっかりつけすぎちゃうものもあるし、そもそもたくさん食べればそれだけ摂取する醤油の総量は増える。そしてついつい腹一杯になるまで食べてしまう。

 問題はそのあとである。喉が渇く。とても渇く。お茶を飲み、水を飲み、ビールを飲んでもまだまだ喉は渇き続ける。僕は飲み続ける。僕の腹は膨れ続ける。脳が感じる満腹ではなく、物理的な圧迫が僕を襲う。起きているのも寝ているのもつらくなってくる。それでも喉は渇き続ける。つらい。あれはほんとうにつらい。

 僕に恨みがある人は僕に寿司をおごればよい。たーんとおごるとよろしい。ああ寿司が怖い。ついでにビールも怖い。


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鈴木拓磨 SUZUKI Takuma / suzukishika(鈴木鹿)

コピーライター。札幌の広告制作会社に勤務しています。
1982年早生まれ / 小樽市出身 / 札幌市在住 / 文房具とビールが好物
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