#115 麩

2015.11.19

 きょうふのみそしる、というフレーズが流行ったのは小学生の頃だった。僕はそのフレーズを耳にするたび、あるいは口にするたびになんだかわくわくしたものだ。麩の味噌汁が好きだったからだ。

 いろんな味噌汁の具の種類のなかで麩がいちばん好きだった。スーパーで売っているなんの変哲もない安い麩、それが何個か浮いているだけの味噌汁。汁をたっぷりと含んだ、ちゅるんとした食感。鼻腔を抜けるほのかな香ばしさ。美味しかった。好きだった。つくる母としても使い勝手がよかったのだろう、わりとよく出た。朝、味噌汁の具が麩であることを知ると僕はうれしかった。「今日をもって麩の味噌汁はやめる」と告げられるほうがよっぽど恐怖だと思っていた。

 こんなに麩の味噌汁が美味しいんだから、きっと麩をそのまま食べても美味しいに違いないと僕は思った。それで、あるとき僕は戸棚にあった麩の袋を探し出して、ひとつ食べてみたのだった。口の中の水分が一気に奪われ、僕はむせた。鼻腔を抜けるほのかな香ばしさは、ほんのすこしだけあるにはあるが基本無味。せいぜい味の薄いスナック菓子くらいの美味しさがあるんじゃないかと予想していた僕は大いに裏切られたのであった。

 いやいや、と思う人もいるかもしれない。麩菓子があるじゃねえかと。だけど僕、麩菓子というものの存在を知ったのは大人になってからだったのである。

 初めて麩菓子を見たときも、僕はわくわくした。麩の菓子である。見るからに黒糖だろうなという色と香り。とはいえ脳裏をかすめるのは美味しくなかった麩の記憶。かぶりつく。外の硬さと裏腹な中のスカスカっぷり。大きく開けた口と裏腹な食べごたえのなさっぷり。さすが麩である。予想通りである。まあ、でも、不味くはなかったな。

 そうこうして麩菓子と出会った僕は、以後、ときどき麩菓子を買うようになった。好きか、といわれるとそうでもない。麩の味噌汁に比べれば微塵も好きではない。ただ、その体積の大きさと軽さとを評価したのである。なんか見映えがするのである。いちど、酒をあれこれ買い込んで友人宅で飲むというときに、麩菓子を買ったことがあった。僕と友人とは、麩菓子をつまみにビールを飲んでみることにした。すごかった。合わなすぎてびっくりした。スッカスカの中を弾けるビールの泡と麦の香りを追いかけてくる薄っぺらい黒糖の味。いやあ、二度とせんわ。

 翻ってやはり麩は味噌汁が素晴らしい。どうやら麩の味噌汁の美味しさは味噌の味、出汁の味のおかげなんだと知った。それらをめいっぱい吸い込んで、たたえて、僕の口の中にちゅるんと入って来る麩。味噌汁が熱すぎるときには容赦なく僕の口の中を焼く、汁だくの麩。

 ところで実のところ僕は、麩というものがよくわかっていない。あれはなんだ。なんですか。麩とは。たぶんきっとおそらくは、なんらかの炭水化物的なものだろう。デンプンとか。違うか。特定の穀物でつくられているものならきっと知っていると思うのだ。そうでないということは、きっと、いろんななんかからつくれるんじゃろう。違うか。調べれば一発でわかることを、調べないまま知らないままでいることも尊いことなんじゃないかと思うわけ、僕、最近。うん、調べません。

 僕は自分で料理をほとんどしないし、美味いものをたくさん知っているような人間でもない。ただ、大人になって知ったのは、麩にもいろんな種類のものがあるらしいということだ。百貨店の催事場でやってる物産展なんかで、ときどき、とうてい味噌汁のお椀には入らないようなでっかい麩が売られているのを見かけることがある。車麩っていうのかしら。沖縄だったかしら。調べません。

 日本全国にはどうやら、いろんな麩があるのねーと思う次第である。感慨の薄さに自分でも驚くが、麩ってそういうもんじゃないですか。もちろんこだわってつくっている方がいらっしゃるのだろうとは思うのだけれど、なんといいますか、そこまで重く向き合うものではないというか。

 その食材としての軽さはいうまでもないが、麩は存在としても軽い。名前がいいんだと思う。誰が名付けたか知らないが、超いいネーミングだと思う、麩。名は体を表している事例としては日本語史上かなり上位に食い込んでいると思う。「ふ」と一文字だけというのもいい。そこからあふれ出るどうも間の抜けた感じ、愛嬌のある感じをどう表現したらよいのだろう。

 一文字のことばというのは日本語には決して珍しいわけではないが「も」とか「な」とか「か」にはない空気感が「ふ」にはある。ハ行のせいかなとも思ったのだけれど「は」も「ひ」も「ほ」も別に間が抜けた感じがしない。いっぽう「へ」は意味が意味だからまあ、しかたない。「ふ」だけがどうしてこのヌケ感。同等のヌケ感を持っているのは、僕は「つ」だと思う。津市の津。「つ」て。


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鈴木拓磨 SUZUKI Takuma / suzukishika(鈴木鹿)

コピーライター。札幌の広告制作会社に勤務しています。
1982年早生まれ / 小樽市出身 / 札幌市在住 / 文房具とビールが好物
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