#95 寝過ごす

2015.07.02

 目覚まし時計にスヌーズ機能がついたのはいつのことだっただろう。アラームを止めた五分後か十分後、あるいは指定した時間の経過後に再び鳴り出すあの機能。天使か悪魔か、はたしてどちらだろうか。

 ワンチャンスというのは恐ろしいものだ。無慈悲だ。僕は今まで何度「目覚まし時計を止めた記憶すらなく」遅い朝を(ときには昼を)迎えたことだろう。一度限りの起床チャンスを無意識に逃してしまった自分を責めるにも責められず、かといって誰のことも責められない。こういった苦い経験を重ね、僕らは慎重な人間になっていく。スヌーズをかけたがるようになっていく。

 しかし気をつけなければならない。スヌーズは僕らを甘やかす。一度目の目覚めの尊さを奪い、二度寝を許してしまう。一発で起きなくてもいいという安心感。そのうえ僕らの指先は、僕らが思っているよりもずっと賢い。自動的に無意識に、鮮やかにスヌーズを取り消してしまうのだ。やはり僕は「目覚まし時計を止めた記憶すらなく」遅い朝を(ときには昼を)迎える。事情の深刻さと裏腹にスッキリとした心身。涙も出ない。

 スヌーズを使わずに「複数の目覚まし時計をセットする」でも同じだ。「誰かからモーニングコールしてもらう」でも同じだ。僕らは二度寝のためなら苦もなく部屋中歩き回って目覚まし時計を止めるし、携帯電話をサイレントモードに変える。結婚は根本的な解決とはならない。二人揃ってやっちまうことはあるのだ。

 極論だが、寝過ごしと完全に無縁になるためには、時刻と無縁になるしかない。退職後の老人か、はたまた巨万の富を得た者か。いやいや、どれだけ働かずに悠々自適といったって、家族や友との約束であったり、見たいテレビであったり、乗りたい飛行機であったりと、人は時刻と無縁ではいられない。時刻と無縁になるというのは、社会と無縁になることに近い。そうなるとせいぜい、赤ん坊や就学前の幼児ぐらいだろうか。それ以外のすべての人は寝過ごしと無縁ではいられない。人生は寝過ごしの苦渋と常に背中合わせなのだ。

 寝過ごしは、寝床の中でだけ発生するのではない。寝床の外でも、家の外でもそれは不意に発生する。高校時代、滅多に居眠りをするような生徒ではなかったけれど、一度だけ、気がついたら次の教科に変わっていたことがあった。休み時間も眠りこけていたのだ。あれはやばかった。移動教室じゃなくてよかった。

 寝過ごすの「過ごす」の部分、辞書的には「時刻を過ぎる」ということだと思う。そりゃそうだ、寝ているとき人は動けないわけで、位置的にどこかを「過ぎる」ことはできない。ただし、列車に乗っていて寝過ごす場合、つまり寝過ごしてなおかつ乗り過ごしてしまった場合、過ぎているのは「下車予定時刻」であると同時に「下車予定地点」も含んでいる。時間と同時に空間も過ぎている。時空寝過ごし。

 楽しくしこたま酔っ払った飲酒後に帰宅、なんていうのは最も危険なシチュエーションだ。僕は今、自宅からの最寄りが終点駅なので寝過ごすことがないわけだが、その終点で降りる際に「ああ、この人は完全に寝過ごしたのだな」という人々をよく見かける。おにいさん、おねえさん、おじさん、もろもろ。おばさんはいない。おばさんはしっかりしているのである。

 僕と同じく終点駅を最寄りとする先輩は、終点駅にもかかわらず寝過ごしたことがあるそうで、つまりはそのまま折り返し列車に乗りっぱなしで、気づいたら逆方向の終点まで行っていたらしい。どんだけですか先輩。尊敬していますよ先輩。

 実家住まいだった大学生の頃は僕もときどき寝過ごしてしまっていた。実家の最寄りは終点駅より二駅手前。気分よく飲んで、混雑した列車の吊革につかまりながら揺られ、途中で乗客がいっぱい降りる駅があって、座って、ふと目が覚めたら終点で、というパターン。あれは焦った。まじ焦った。同じ市内だからまだなんとかなったものの。

 終電にも間に合わなくて夜通し飲んで、始発で帰るなんていうとき、札幌駅発小樽方面行きの始発列車がたしか、小樽を越えて然別まで行くやつで、それだけは絶対に寝過ごさないようにものすごく頑張っていた記憶がある。あと、江別方面に帰る人たちが寝過ごして気付いたら岩見沢、なんていう話もよく聞くね。きっと涙も出ないだろうに。

 ごく稀にだが寝過ごした夢を見ることがある。あれはやばい。ほんとぞっとする。起きて、時計を見て、ほんとほっとする。ほっとして、なんだかぼうっとしているうちに、遅刻しそうになる。あれはやばい。

 過剰に寝るのは「寝過ごす」ではなくて「寝過ぎる」である。一日中寝てたら「寝て過ごす」である。これらはどっちも好きである。子どもの頃は、睡眠なんて嫌いだったのになあ。人間変わるわ。


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鈴木拓磨 SUZUKI Takuma / suzukishika(鈴木鹿)

コピーライター。札幌の広告制作会社に勤務しています。
1982年早生まれ / 小樽市出身 / 札幌市在住 / 文房具とビールが好物
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