#91 お湯

2015.06.04

 電気ケトルが好きだ。電気ケトルってすごい。

 お湯を沸かすことに不便も不満も感じていなかった僕に、当時の同僚が結婚祝として贈ってくれた電気ケトル。びびった。めちゃくちゃ便利でまじびびった。

 普通のケトル、すなわち薬缶は昔からあった。僕も独り暮らしを始めたときには所持していたし、それで何度もお湯を沸かしてはインスタントラーメン(主にやきそば弁当)をつくって食べた。水を入れてガスコンロにかけ、沸くまで待つ。その間、目が離せないわけではないけれど、ガスの火を使っている以上はやはりすこし気を遣う。

 電気ポットは昔からあった。あれはガスを使わないし、お湯を沸かしながら放っておけるものだ。ただ、基本的にたっぷりとお湯を沸かした上で保温しておくというのが前提の家電である。おじいちゃんおばあちゃんのように四六時中茶を飲むのならまだしも、多くてときどき、なんならお湯を使わない日もある僕にはその保温が無駄に思える。独り暮らしの身にはもちろん、共働きの夫婦にも不要と判断し、購入に至らずそのままだった。

 しかしながら、電気ケトルの登場は僕の中に眠る漠然としたお湯に対するニーズを掘り起こしてしまった。使いたいときに使いたい分だけを、手軽に早く簡単に。そのなんと便利なことか! シンプルな単機能で、技術的に難しいことなど何もしていない(と思う)。そんなところにもぐっとくる。この道具には思想がある。あたし、もう電気ケトルなしの体には戻れない……。

 電気ケトルはお湯とのつき合い方を完全に変えた。僕の人生はお湯を中心に回り始めた。高城剛が「どこにいてもお湯さえあればなんとかなる」みたいなことを書いてトラベルグッズの中に湯沸かし器を入れていたけど、ほんとにそうだ。彼のように世界中あちこちに出かけるわけではないし、沸かさなくても飲める水が蛇口をひねれば出てくる国に僕はずっといる。けれど、お湯をいつでも沸かせる、いつでもお湯のある安心感というのは、たしかにある。

 お湯ってすごい。沸騰して一〇〇℃ちょうどなのがすごい。いや、わかってる、話が逆なのはわかっている。ただ、水が沸騰すると必ず温度が一定である、ってどうやってわかったんだろう。そこがすごい。それが温度計の発明後なのだとすればわかるが、もし発明前なのだとしたらすごいことだ。普通に素手で触れるレベルではない沸騰したお湯。仮に素手で触ったところで「熱さの違い」を感じられるレベルを超えているんじゃないかと思うのだ。それとも極端に熱湯に強い賢人たちがいたのだろうか。ダチョウ倶楽部みたいな賢人が古代ギリシャとかに。

 子どもの頃って、温かい飲み物を全然飲まなかった。熱くて飲めないものは好きじゃなかった。というか、ゴクゴク飲めないものは僕にとって飲み物ではなかった。ホットミルクとかココアとか、正直あんまりワクワクしなかった。真冬でも冷たいのが飲みたかった。ファンタグレープが飲みたかった。冬でもストーブで部屋の中をガンガン暑くする北海道ならではかもしれないけれど。

 今、酒と炭酸水以外の飲み物といえばだいたいはお湯ベースでつくるものだ。以前よりも気軽に、頻繁に、お茶、コーヒー、ごくたまにインスタントのスープなどを自宅で飲むようになった。なんなら酒だって、焼酎のお湯割りなんかが無性に飲みたくなるときもあるのだ。真夏の暑いときなんかはさすがに頻度が減るけれど、それでもたまには。

 自宅もさることながら、なんせお湯があって助かるのは職場だ。僕の勤務先には自動販売機があるが毎日それを利用していてはトータルの出費もなかなかバカにならない。水筒に茶を入れて持っていってはいるがそれでは足りない日もあるし、そもそも茶以外を飲みたい気分のときもある。そんなときは台所に立ってお湯を沸かし、インスタントコーヒーを、緑茶を、紅茶を、またはインスタントのしじみスープをつくって飲む。喉の渇きはいえるし、その一連のプロセスが気分転換にもなる。社内に籠もりっきりになる日が多いオフィスワーカーの身にとってお湯の果たす役割は大きい。

 そんな職場の台所、僕の入社当時にはIHヒーター+薬缶だったものが、IHが故障してからは電気ポットになり、電気ケトルの便利さを自宅で経験済みの僕としては一抹の不満を抱えながらのお湯ワークスタイルだった。けれど、つい先日、ついに、ついに電気ケトルが! ヒャッホオオオオオイ!

 というわけで近頃は、以前にも増してお湯三昧の日々だ。コーヒーを飲み過ぎていると感じたときはお湯を飲む。なんにも味しない。ただただあったかい。お湯、うまいなあと思う。ちょっと疲れているときである。でもうまいよね、お湯。安いし。


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鈴木拓磨 SUZUKI Takuma / suzukishika(鈴木鹿)

コピーライター。札幌の広告制作会社に勤務しています。
1982年早生まれ / 小樽市出身 / 札幌市在住 / 文房具とビールが好物
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