#90 噛む

2015.05.28

 高校の演劇部に所属していたのは一九九七年から二〇〇〇年まで。放課後も土日も、毎日のように稽古場に立ち、たくさんのセリフを口から発し続けていたはずだけれど、僕らはあの頃「セリフを言い間違えること」を「噛む」と呼んでいただろうか?

 滑舌、という言葉はよく使われていた。かつぜつ。滑舌がよい、悪い。セリフが聞き取りづらければ「滑舌が悪い」ということになったし、口が回らない、いわゆる「噛む」状態になってしまうことも「滑舌」として処理されていたような気がする。ただ、たとえば稽古中のダメ出しとして「セリフを噛んだからもう一回ね」なんていうシチュエーションがあったかどうか、少なくとも僕は今、まったく思い出せないのである。

 テレビのバラエティ番組、特にお笑い芸人さん達を中心に広まった言葉というのは多い。もともとは内輪の業界用語だったものが番組内で使われ始め、広く知られるようになって現在に至る、というような。「噛む」も、それらの仲間だと僕は認識しているのだけれど、実際はどうなんだろう。たとえば「ボケ/ツッコミ」なんていうのは高校時代、既に言っていた。明確に言っていた。ただ、「噛む」はもっと後だったんじゃないかなあ。もしかすると二十一世紀に入ってから? うーん。現代日本語の専門家、国語辞典の編纂をされている方などは詳しいんだろうけど。

 経緯は別として、直接の由来はやはり「舌を噛む」から来ているのだろうか。早口言葉のように言いにくい言葉、長ゼリフなんかを「舌を噛みそう」と表現することは昔からあるように思う。ただ、喋りながら本当に舌を噛んじゃったことは僕はない。みんなはあるんだろうか。

 喋りながら、ではないけれど、唇や頬の内側を噛んでしまうことはときどきある。僕は幼いときから体質なのか口内炎ができやすいので、噛んだ瞬間「痛っ」という感覚と「あ、口内炎確定」という落胆がほぼ同時に訪れる。そしてまた残念なことに、あれって同じところ何回も噛んじゃうんだよね。ほんとやんなる。この前、久しぶりに下唇を、本当に「がぶり」という音がするような勢いでやってしまった。犬歯で。やんなる。

 口内炎ができてしまうと、特にできどころが悪いと、食べ物をまともに噛めなくなってしまう。あれはひどく弱気になるものだ。口の中の右側が痛いときは左側で、はたまたその逆で、などと工夫してみるものの、ゆうても痛いもんは痛い。つらい。このまま何も食べられなくなって息絶えてしまうのではと不安になる。弱気である。まともにものが噛めることのありがたみを強く感じるひとときである。

 一口あたり二十回は噛めと幼児の頃に教わった。これほど「教わった」ことをハッキリとおぼえているにもかかわらずおろそかにしていることもない。ときどき思い出して、よく噛むように努力してみては一日も経たずにあっさり忘れてしまう、その繰り返しを三十年近く続けている。もう諦めりゃいいのに諦めきれないでいる。よく噛もうとする。もう飲み込んでいる。

 唾液がたくさん出る、消化にいいなどよく噛むことの効用はいくつもあるが、そのへんは正直どうでもいい。今の僕がいちばん目指したいのは「ゆっくり食べる」ことだ。そのために、よく噛んで食べたいと思っているのだ。手段と目的が入れ違っているようだけど、そうなのだ。よく噛もうと意識することで、ゆっくり食べが実現するというもくろみ。なんせ早食いなもので「うめえ、うめえ」と食べたものの味がわかってない。食べ終わったときにはその味を忘れているし、そもそも味を感じているのかさえ疑わしい。この食オンチをなんとかできないものかなあと思っているのだ。なんでもうまいうまいと言って食べるのはいいことだと自分では思っているのだけれど。

 歯自体はすこぶる健康なので、口内炎さえなければよく噛むことは可能だ。むしろ、飴玉なんかはとけてなくなるその前にかみ砕いてしまいがちなので、なんだろう、要はこらえ性がないんだな、きっと。ミント菓子もガリガリ噛むし。最近はちょっと口寂しいときにグミを食べるようになった。グミといってもやわらかいのではなく、かためで噛み応えがある梅味の甘くないやつでお気に入りなのである。ミント菓子やガムで口の中がスースーし過ぎてきたとき、ちょっとしょっぱい味がほしくなったときに重宝するのだが、ついつい止まらなくなってしまって、ほら、今も、つい食べ過ぎて非常に微妙な満腹感。なぜか罪悪感。

 歯は大事にしよう、ほんと。健やかに噛める人でいよう。そういや子どもの頃、ミニ四駆の、タイヤに差してあるシャフトを抜くときに、手近にペンチがないときは奥歯でぐっと噛んで引き抜いていたっけな。ってのを思い出した。あのときのなんともいえない金属の味を、今、この文章を書きながら口の中に感じている。唐突だけどはっきりと。


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鈴木拓磨 SUZUKI Takuma / suzukishika(鈴木鹿)

コピーライター。札幌の広告制作会社に勤務しています。
1982年早生まれ / 小樽市出身 / 札幌市在住 / 文房具とビールが好物
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