#86 イヤホン

2015.04.30

 耳から音楽を流し込む。流し込んだ音楽は耳を通って頭へ届き、直接そこで鳴り始める。そんな感じ。カナル型といわれる、耳栓のように耳に突っ込むタイプのイヤホンを使うようになってからはますますそんな感じ。

 安くてでかいアイワを買ってもらってジャージのポケットにむりやりねじこんだ小学校高学年。家電量販店の折込チラシばっかり見ては溜息をつき、ついに一念発起、靴下の中に万札を隠して街へ行き薄型のを買った中学のとき。もちろんどちらもカセットテープである。せっかくの嬉しいお買物、憧れて憧れて仕方がなかったヘッドホンステレオ。なのに結局ブルーになって持ち歩かなくなってしまったのは、耳の形に合うイヤホンに出会うことができなかったからである。

 僕の耳の形が普通と比べてどうなのか、自分の耳の穴も他人の耳の穴もじっくり見たことがないのでわからない。けれどもたぶん商品の付属品になるような一般的なイヤホンは一般的な耳の形に合わせているのだろうから、それが耳に合わないということは、僕の耳は普通とすこし違うということなんだろう。僕の場合、イヤホンがすぐ落ちる。右耳はまだぎりぎりホールドしてくれるのだが、左耳はまったくだめである。十メートルも歩くと落ちる。走り出したら三歩で落ちる。イヤホンしながらジョギングなんか夢のまた夢であった。耳からイヤホンが落ちてしまうからという理由で、自分には要人警護のような職業には就けないだろうと考えたこともあった。

 大学時代に耳に掛けるタイプのヘッドホンが流行って、ようやく僕はイヤホンジプシーを終えた。ずっと憧れていたウォークマンを、ヘッドホンステレオではなく「ウォークマン」をプレゼントしていただいて、そいつでもって電車通学が格段に快適になった。MDウォークマン。ここにきてようやく僕は、ストレスのない、満足のゆくポータブルミュージック環境を手に入れた。耳に入れた。これで安泰だ。かに見えた。

 ところが就職のタイミングで常時メガネ着用人になったことによって耳掛けタイプの使用が難しくなり、でかいヘッドホン、HMVの試聴機と同じやつを導入してみたのだけれど、夏場の暑さ、耳周辺からの発汗の不快さに耐えられなくなってやめた。僕のポータブルミュージック環境はまたしても崩壊。頓挫。

 僕はもう一生、この点に関しては諦めなくてならないのだろうと嘆いた。高身長でもイケメンでもなくていいから、せめて耳の形は人並みに生まれたかった。

 と、僕が絶望の淵にいたとき、ようやく世の中にカナル型のイヤホンが出てきて、これがなんとまあ、ようやく僕の耳からポロポロと落ちることのないイヤホンであった。ありがとうカナル型。生まれてきてくれてありがとう。

 だらだらと自分のイヤホン遍歴をさらしてみたけれど、とにかく耳に合うか合わないか、そこんところのストレスと向き合い続けてきたので、正直なところ音質とかどうでもいい。がんらい耳もあまりよくはないのだ僕は(人の言葉がうまく聞き取れないとかよくあるし)。そりゃ、ものすごくいいイヤホンやヘッドホンで音楽を聴けばそれは素敵な体験なのかもしれないし、僕の耳でもその違いはわかるかもしれないが、日常使いでそこまでは。

 だって、いいイヤホンとかヘッドホンってお高いじゃないですか。数万円するのなんかざらじゃないですか。そんなのあれこれ試してらんないよってなもんである。どのイヤホンがよいかという口コミはちょっと検索するだけでどっちゃり出てくるけれど言ってることがバラバラに見えるし「結局は人によるよね」みたいな度合いが強いものなんじゃないのかと想像する。イヤホンというかオーディオ全般。詳しくはないけれど。

 まーでもほんと、地下鉄に乗っているとみんながみんな耳にイヤホン入れていること。やはりスマホの登場・普及でイヤホン人口は格段に増えたように感じる。みんながみんな耳イヤホンっていう光景は健康的かといわれるとちょっと微妙だけど、まわりの誰にも聞こえていない音が、大げさにいえば世界が、自分の脳内にだけ展開されているというのはなんとも不思議で、なんとも悪くない気分である。道行くあの人この人の脳内にはどんな世界が鳴っているのだろう。誰にも聞かれずひそやかに。

 中学の頃、CDラジカセにイヤホンを挿してラジオを聴いていたっけなあ。夜二十三時のひそやかな楽しみ。TOKYO FM「中島みゆき お時間拝借」。ハイテンションなトークに笑いつつ、曲とのギャップに毎度驚愕しつつ、たいてい曲の途中で寝落ちしてしまって、早朝に寝返りうった拍子にイヤホンがCDラジカセから抜けて、スピーカーからどんと音が出て慌てて起きるという。寝ぼけてるんで必死に目覚まし時計を止めようとするんだけど、音が一向に止まらないという。家族を起こしてしまうという。叱られるという。


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鈴木拓磨 SUZUKI Takuma / suzukishika(鈴木鹿)

コピーライター。札幌の広告制作会社に勤務しています。
1982年早生まれ / 小樽市出身 / 札幌市在住 / 文房具とビールが好物
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