#80 老眼

2015.03.19

 大学の卒業論文で僕を担当してくださった教授は当時、五十歳か、ちょっと手前ぐらいだったように記憶している。口頭試問の最初に言われたのは「字が小さくてつらい」だった。その後、何を言われたのかはあまり憶えていない。すみません。

 パソコンで書いた卒論であったが、普段提出するようなレポートに比べて意識的に文字を小さくしていたことは確かだ。文字が小さいと、なんかそれっぽくてかっちょいいなとあるとき気づいたのだ。書籍っぽいな、と思っていた。だから、ぐっと文字を小さくした。脚注の文字はさらに小さくなった。

 老眼というものを意識したのはそのときが初めてだった。その前から両親は老眼がまあまあ進んでいて、でもそれは、僕にとってはあまり関係のないこととして認識されていた。僕も歳を取ったらそのようなことが起きてくるのだろう、それまでは関係ないや、と。

 ところがどっこい、社会人生活は老眼との戦いの連続である。いや、僕はまだ老眼は来ていない。小さい文字、近いところの文字、子どもの頃と同じように普通に見えるし読める。僕自身の見える見えないではなく、僕よりも偉い職場の先輩や上司、クライアントに対して資料の文字をどれぐらいの大きさにするのかという戦いだ。

 実際、ほんとうに日常生活に差し支えるほどの老眼の方は各自で対策が済んでいて、たとえば老眼鏡、たとえば拡大鏡。ただ、まだそのような準備のない方々、つまりは「老眼きちゃってる、ちょっと認めたくないけどこれきちゃってる、でも老眼鏡ってほどでもないな、ないはずだ、たぶん」ぐらいの方々にはいちばんきついであろう、そんな文字サイズの資料をつくってしまうことが間々あって、申し訳ないなあと思う次第である。

 程度や時期、個人差はあれ、ほぼ全員が経験することになるものだから、良いも悪いも特にない。そういうものだと受け入れるよりほかない。僕にもいずれそのときがやって来るのだ。けど、やっぱり、自分がそうでないものに思いを至らせるというのは大変難しいことである。「相手の立場に」なんて、軽々しく言ってはいけない。いや、言ってもいいけど、できない、そんな簡単に。

 近眼だと老眼になりにくいとかいう話は、実際どうなんだろうか。僕はほんのちょっとだけ、車の運転にはギリギリ眼鏡が必要だけど……ぐらいなんで微妙なのだけれど。でも、ついこの前、新しい眼鏡をつくったときに、店員さんに「あと何年かしたら、老眼が始まるかもしれないですよ」と言われてどきっとした。店員さんは僕よりも五歳ぐらい年上の四十歳手前の方で、近頃ごく僅かではあるが老眼が始まってきた、ということだった。老眼用のレンズを用意するまではいかないが、近眼のほうの度をちょっと変更することで見えやすさを微調整したりするんだそうだ。

 誰しもが老眼になるのなら、そして世の中で重要な決断を下すような偉い人には老眼(になるような年齢の)人が多いのであれば、世の中の文字という文字が、もっとどんどん大きくなっていかないものだろうかと夢想することがある。人間のほうが眼鏡をかけて世の中に合わせる、っておかしくないだろうか。人間の力の及ばない「自然」に対してならギアを使って身体を拡張するのはわかるが、文字っていうものは人間が生み出しているわけだから、

 もちろん夢想は夢想で、世の中そんなことにはならなくて、あるスペースに対して詰め込むことのできる情報量を考えれば世の中の文字のほうをでかくしていくなんてありえない。そういえば新聞紙の文字なんてどんどんどんどん大きくなってきていて、主たる読者が高齢化してるんだろうから当然の流れというか企業としては正しい選択なんだと思うしわかるんだけど、そのぶん良質な情報が厳選されているんだよね? ですよね?

 でも、これまでのように物理的制約が、紙にせよそれこそ大昔の石版にせよ、あるのだとしても、情報がどんどこデジタル化している現在ならば、やろうと思えばできちゃうんじゃないの。などとも夢想する。まあ、スマホやらタブレットやらは読み手が好きなように拡大して読めちゃうわけで、「読み手が、読み手の都合のよい文字の大きさにできる」という流れが、老眼時代の一つの解なのかもしれないね。

 最近ひとつわからないのが「子ども向けだから文字を大きくしよう」いという意味について。細々と文字だらけだと難しそうな印象、というのはわかるのだけれど、文章の難易度自体がやさしければ、文字は小さくていいんじゃないの。彼ら、見えるわけだから。老眼からは最も遠くにいるわけだから。あ、もしかして、絵本の文字が大きいのは、じいじやばあばが読んであげやすいように? って「文字の大きさ=老眼対策」という先入観に毒されすぎですかね、僕。

 ところで、この文章ちゃんと読めてます?


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鈴木拓磨 SUZUKI Takuma / suzukishika(鈴木鹿)

コピーライター。札幌の広告制作会社に勤務しています。
1982年早生まれ / 小樽市出身 / 札幌市在住 / 文房具とビールが好物
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