#57 使いきる

2014.10.09

 決して貧乏ではなかった。両親の名誉のために言うわけではないが、話を聞くにまあまあなかなか貧乏な育ちをした両親は、きっと自分たちの子どもにその苦労を味わわせたくなかったのだと思う。尊敬するし、ありがたいと思う。戸棚の中にはいつもおやつがあった。チョコパイがあった。だいたい母が食べていたけれど。

 決して貧乏ではなかった。なのにどうして、こんなに貧乏性な僕ができあがってしまったのだろう。それを血だとは言いたくないけれど、やはり日頃の両親の言動、行動に対して示された指針などが、僕の身にしみついてしまったということなのだろうか。しかし両親ともにケチという印象がない。べつに「残さず食べなさい」と口うるさく叱られたこともなかったし。けれど、それは僕が言われなくても残さず食べていたからかもしれない。「もったいない」って両親から言われた記憶もない。

 だけど「もったいない」の気持ちは、ものすごく幼い頃から強烈に僕の内面を支配していた。それは強迫観念と言っても大げさにならないような。ひとつ、鮮明におぼえているシーンがあって、たぶん幼稚園のとき。お祭り屋台で買ってもらった二百円ぐらいのカメラ型玩具を、帰宅後すぐに不注意から壊してしまったことがあって、僕は泣いた。借家の居間のソファに突っ伏して泣き続ける僕に業を煮やした親が「また買ってあげるから。今から買いに行こう」とやさしく言ってくれた。それを聞いて僕は声を振り絞って叫んだ。「お金がもったいない!」と泣き叫んだのである。なんちゅう幼児だ。

 その玩具のカメラはプラスチックのパーツが一ヶ所折れてしまっただけだった。それ以外、ほとんどの部分は買ってきた新品のときのままだったのだ。直せればよかったのだろうけれど、パーツが華奢すぎて接着剤で直せる感じではなかった。壊れてしまったものは仕方ないのに、諦めきれなかった。諦めなければいけない理不尽さに耐えきれなかった。……泣きじゃくる当時の気持ちをあえて冷静に記述しようとすれば、こんなところだろうか。

 どうやら物心ついたときから僕は貧乏性だ。生まれつきかもしれないし、後天的かもしれないし、結局のところ由来はまったくわからないが、まあいい。そんな僕にとって、ものは「使いきる」ことが前提で、「使いきる」ことに快感、あるいは義務感を感じ続けながら生活してきた。使いきらないものを捨てるということはあり得なかったし、使いきれないものについてはフラストレーションをため続けてきた。歯磨き粉、シャンプー、ケチャップ、マヨネーズ、エトセトラ。味がなくなってもしばらく噛み続けるガム。ちびた石鹸が排水口に流れていってしまったときの、なんともいえない悲しい気持ち。初めてボールペンを使いきれたときの、小さいけれど深い感動。ラミーのローラーボールを使いきったときの「え、もう?」という戸惑い。輸入文具はリフィルが高い。

 服もそうだ。子どもの頃は体が大きくなるので服はどんどん着られなくなる。それはいい。が、体の成長が止まった二十歳の頃から、汚れも破れもしていない服を捨てることへの抵抗がずっとあった。気に入らない色や形の服でも、まだ着られる。着られるのに捨てるのはしのびない。でも、着たくはない。気に入った服を新たに買う。結果としてどんどん圧迫される鈴木家の収納。たまるフラストレーション。靴はすり減るからまだ抵抗なく捨てられるのだけれど。

 断捨離ブームに背中を押されたのと、自らの住宅事情とのせめぎ合いを経て、ここ数年で服も捨てた。去来する「もったいない」を振り払いながら捨てた。改めて見てみるともうぼろぼろのよれよれで、誰かにあげるといってももらったほうが迷惑なような代物だった。結局のところ、なにをもって「使いきる」なのか、ということだ。僕が使いきれていないと思っていた服たちは実は「とっくに使いきられて」いて、まるでほんのちょびっとだけ残った歯磨き粉のチューブのような、ほとんどゴミを一生懸命おうちにためこんでいたのだった。

 使いきりへの欲望は今も根強く僕の内面にこびりついているし、きっとこれから先もつきあい続けていくのだと思う。そして、それはそのままでいいと思っている。使いきれるものは使いきる。ただ、その結果として使わないものまでためこみがちな生活とは、そろそろおさらばのときだ。使わなくなったのなら、それは使いきったも同然と考える。「死蔵」とはよくいったもので、死蔵に家賃を払えるほどに僕は裕福ではないのだ。

 生活の個別事例ではなく全体を見たとき、それがほんとうの意味で「使いきる生活」なのかなあと近頃は思っている。

 こんな原稿を書きながら、防腐剤が入っていないために開封から二週間で使いきらなければならない目薬を、半分残っているのに捨てる。ううう、むむむ。


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鈴木拓磨 SUZUKI Takuma / suzukishika(鈴木鹿)

コピーライター。札幌の広告制作会社に勤務しています。
1982年早生まれ / 小樽市出身 / 札幌市在住 / 文房具とビールが好物
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