#41 春雨

2014.06.19

 美しい名前だよなあ。食品の名前として、ちょっとどうかしているんじゃないかってぐらいに美しい。そしてまた、納得感があるものね。細く、白く、すーっと糸を引くように伸びたその姿。その軽やかさ。暖かくなりかけてきた季節をほんのすこしだけ冷やす雨。しとしと。それでいて、意味にまみれていないのもいい。春にしか食べないってわけじゃなく、年がら年中食べてよし。豊かな空気感をふんわりと含みながら、意識されることなくただの記号として呼ばれるその食品の名は、春雨。

 どうしてその食品に、春雨という名を授けたのであろうか。いつの季節の雨であろうと、透明で糸を引くのはおんなじだ。夏やら冬やら、は、まあおいといたとしても、どうして秋雨じゃいけなかったのだろう。秋の雨って、台風とセットだからかな。どうなのかな。

 春の雨、を、正直それほど意識したことはない。春を仮に三月四月とするのであれば、札幌の三月四月はまだまだ雪が降る可能性をはらんでいるのであって、雨が降れば「ああ、雪ではなく雨が降るようになったのだ。春だなあ」ぐらいの感想を抱くのが常である。雪の季節にはさすことのなかった傘を、ささねばならぬ季節がきてしまったのだなあ、と。もちろん春の訪れは喜ばしい感情とともにあるのだが、一抹の残念な感情というのはこの、傘の必要性に起因している。なんとも風情が欠けていて残念だが、まあ、それがリアルだ。

 季節の機微がよくわからないのは僕の欠点であって、とはいえ、春雨が美しい名前であるというのはなんとなくわかる。はるさめ。食品の呼称として定着しすぎてしまって、実際の春の雨の風情もなんだか食品とセットになってしまっているような。そんな春雨。春にしとしと降る美しい雨は、低カロリーなのであろうか。きっと低カロリーなんだろうな。妙な納得感。

 幼い頃から「やや肥満」と評価されるバディを保ち続け、それとつきあい続けてきた、自らの肥満と長年向き合い続けてきた、それもずっと開き直れずに苦しい対峙を続けてきた僕としては、春雨というものは非常にありがたい存在であった。救世主のようでもあり、免罪符のようでもある。いくら食べても大丈夫なんじゃないか、と信じさせてくれる存在。そこそこの食べごたえ。噛み切れているのかいないのか、よくわからないままにつるんと飲み込む。

 おいしさ、というものは様々な要素が複合的に絡み合って成立する。味覚的、嗅覚的、触覚的なものだけでなく、食事に臨む感情がいかなる状態であるかということも大切だ。たとえばそれは雰囲気だったり一緒にいる相手だったりするんだけれど、ベテラン肥満としては「後ろめたくない」という要素が非常に重要な意味を持つのだということをここに記しておきたい。特に「いくら食べても太れない」という、僕とは違う世界の住人の皆様に向けて記しておきたい。望むものを、後ろめたくなく食べられることの、なんと幸福なことか!

 これはショッピングの満足度に似ている。「いい買い物」は、そのブツ自体のクオリティだけでなく、値段やタイミングも込みの価値である。おトク至上主義者でなくとも、節約を強いられるシチュエーションでなくとも、想定していたよりも低い費用で買えたときの嬉しさ。安物買いの銭失いには気をつけなければいけないけれど。

 後ろめたくないからといって、低カロリーだからといって、不味いものを大量に食べたってなんの満足も得られないし結局腹は減る。だったらデブ飯をデブ盛りにしてデブなだけ食えばいい。そのほうがずっといい。春雨が素晴らしいのは、いろんな料理のバリエーションがあって、味もちゃんといいことである。

 麻婆春雨と初めて出会ったときの衝撃は忘れられない。いわずとしれた永谷園の人気商品である。たぶん小学生だったと思う。母が食卓に並べた小鉢の中の、得体の知れないその茶色。えも言われぬ匂い。麻婆といえば豆腐だった僕にとって、春雨といえば薄味であっさりとしたサラダなどのイメージしかなかった僕にとって、あの濃厚な味わいの、汁ダクの、それでいて低カロリーな春雨であるという、ああ、ああ、ああああああああ! ごはんが。ごはんが。ごはんが止まらないよお母さん! 春雨だから、後ろめたくないから、ごはんが余計に進んじゃうんだよおおおお!

 いちばん好きな食べものと問われると答えるのが難しいのだが、麻婆春雨は間違いなく上位にランクインする(ちなみに「麻婆豆腐」は嫌いじゃないがランク外)。しばらく食べていないから食べたい。非常に食べたい。居酒屋とかで出してくれないかな、麻婆春雨。または自動販売機で売ってくれないかな、缶の麻婆春雨。美しい名と姿を持つ春雨を、どろっどろの欲にまみれた麻婆にぶち込んだ、背徳の味。


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鈴木拓磨 SUZUKI Takuma / suzukishika(鈴木鹿)

コピーライター。札幌の広告制作会社に勤務しています。
1982年早生まれ / 小樽市出身 / 札幌市在住 / 文房具とビールが好物
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