#24 脱力

2014.02.20

 今でも失敗だったと思い返すシーンがあって、小学五年生のときの運動会の徒競走のこと。がんばってうおおおおって走ってその途中、かぶっていた体育帽を右手でばっとつかんだの。そういうことを当時みんなよくやっていて、僕はそれまでやったことなんかなかったのに、なんでだろう、突発的にやってしまった。体育帽を右手で脱いで、つかんで、速く走れるような気がして、初めて。そうしたら、なんとも走りにくくてしかたない。走っていてスピードが乗ってくるあの感じが全然ない。違和感。失速。すぐに体育帽の失敗に気づいたけれど、物を大切にする鈴木少年に「投げ捨てて走る」という選択肢はなかった。順位はおぼえていない。

 後日、百メートル走の選手が、握力鍛錬のためのハンドグリップを握って走るのと、生卵を持って走るのとを比較して、後者のほうがいいタイムになる、という実験をテレビで見た。そのときとても合点がいったのは、五年生の徒競走のことが忘れられなかったからだろう。余計な力が入っていないということの重要性について、初めて目の前で明確に証明された瞬間だった。衝撃だった。大げさに言えば価値の転換だった。

 子どもはいろんな局面で「がんばれ、がんばれ」といわれて成長していくが、なかでも運動、学校的にいえば体育の時間において、子どもにとって「がんばる」とは「力を入れる」ことと同義だ。子どもというのは力の抜き方を知らない。力を入れること、ふんばること、全力を振り絞ることが、すなわちパフォーマンスを上げることと信じて疑わない。もちろん実際の運動の中で、感覚として力を抜く瞬間だってあるだろう。ただし意識して「力を抜く」ということが、そして「力を抜くということがパフォーマンスの向上につながる」という理解が、はたして子どもにあるだろうか。僕にはなかった。

 大人になった今でこそ、何かにつけて「りきみ」がよからぬ結果を招くことを僕たちは知っている。やれることのすべて、尽くせる手のすべてにおいてフルパワーを解放することが、本当の意味で「がんばる」ことではないということを。この考えを井上雄彦先生は見事に一言で言い表している。すなわち「左手はそえるだけ」と。

 脱力は大切だ。そして難しい。

 高校の演劇部の基礎練習、入部して驚いたのは、腹筋だとか柔軟体操だとかにくわえて「脱力」っていう項目があって、それがえらい難しいということ。えっと、どういうものかっていいますと、両足を肩幅よりも広く開いて立って、腰から上を「脱力」し、だらんと前屈するというやつ。全身をいっぺんに脱力するのならまだしも、身体の一部だけを本当に脱力するというのは難しい。ちなみに演劇部的にいえば、発声時には上半身の脱力が大切。声帯まわりが強ばっていると喉を痛めちゃうから。まあ、僕自身もできてたかどうかは非常に疑わしく、指導していた後輩たちには非常に面目ない。でも理屈はそういうことです。以上、言い訳。

 だれもが演劇をするわけではないが、「肩の力を抜いて」なんていうシーンはだれもが経験するだろう。そんなとき、身体的な修練よりも重要な役割を占めるのはメンタルだ。意識しすぎず、とらわれず、気負わずにリラックスしていられるかが大事なのだ。んなこたーみんなわかってる。でも、ここぞという場面で実践できている人はきっと少ない。

 高校野球マンガ『Dreams』の象徴的なワンシーンを思い出す。敵の監督、ベンチからバッターボックスの選手に対し、さんざん気負わせるようなハッパをかけたうえで「リラックスだ!」と指示を出すその愚かさ。対するアウトサイダーな主人公の、自軍に対する指示は「ガムを噛め」である。いやー、これはもう、しびれたよね。噛んだよね、ガム。

 何年か前に首の筋違えを立て続けにかましてしまって、あの、常に首肩の筋肉が緊張している感じ、力の抜き方がまったくわからなくなってしまう恐ろしさ、あれは本当につらかった。痛いからずっと力んじゃう、強ばっちゃう、そして痛みがとれない。だからこそ麻酔で強制的に痛みをとって脱力を導くようなペインクリニックがあるのだろうけど。幸いにしてお世話になったことはないが、そういった医療があることに感謝である。安心する。

 またも井上雄彦先生の話になるが、先生の描く宮本武蔵が剣を振るときの「ぬたあん」っていう、あれ。あれこそ、だよなと思うのだ。僕は文章を打つときによくあのシーンを思い出す。武蔵があれこれ工夫しながら、ときに楽しみながら、ぬたあん、と剣を振るあの姿を。そういう意味で最近ちょっと、武道に興味がある。

 酔っ払うと気持ちいいのは、うまく脱力できちゃうからなのかもしれないね。って酔っ払ってるからこんな風に書き飛ばしちゃうけどさ。書き飛ばすように生きてみたいね。なんて性分じゃないかもね。しらふで修正。


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鈴木拓磨 SUZUKI Takuma / suzukishika(鈴木鹿)

コピーライター。札幌の広告制作会社に勤務しています。
1982年早生まれ / 小樽市出身 / 札幌市在住 / 文房具とビールが好物
Shikalog / Twitter / Facebook / mail: suzuki at mark suzukitext dot com